分けられない空は無い
朝起きたら、リビングのソファーで寝ていた。まだ5時で、昨夕外に繰り出したままの格好をしている。本当にお恥ずかしい話だが、先日お酒の飲み過ぎで記憶を失ったのだ。たぶんこんなことは初めてのはずだが、それすら忘れている可能性があるため何も信用できない。同席者に話を聞くと、確かに酔っ払っていたがはっきりと話をし、真っ当な意思を持って帰宅したように見えたらしい。だが実際は、習慣と反射によって人間っぽい動きをしているだけのゾンビである。ブラックアウト……あとから消失部分をたぐりよせようとしても、そもそも何も捕まえられていない。清々しいほど空っぽの海馬に隙間風が吹き、憂鬱さを掻き立てる。僕にしては珍しいことなのだ、本当に。
もう何年も前の話になるが、『Detroit: Become Human』というゲームソフトの広告キャンペーンと初回盤アートブックの制作をした。件の日は、同ゲームを担当していたHさんと3年ぶりに再会してお酒を飲んだのだ。2020年の序盤、飲みに行こうなんて言っていた矢先に流行病が日本中を覆い頓挫。ずいぶんとディスタンスができてしまった。かなり思い入れのある仕事のひとつで、僕とHさんは受発注の関係を飛び越えてアウトプットに奔走した仲である。だから、会えたことがとても嬉しかったのだ。何杯飲んだかは当然覚えていないが楽しかったことは覚えている。
心あるアンドロイドと心ある人間、心あるアンドロイド同士の交流、心あるアンドロイドと心ない人間の隔たりを描くゲーム。よくあるモチーフではあるが、普遍性のある問い。『Detroit: Become Human』にも、登場キャラクターのメモリーが消され、不気味な屋敷の中で断片的に記憶を取り戻していくミッションがあった。僕の記憶は、いったいどこで見つけられるのを待っているのだろう。