もはやふたりをわかつのは死ではなく、退屈

花井優太の雑記、何かしらの告知などがテキストで届きます。#8
Yuta Hanai 2022.11.11
読者限定

集中力が散漫になり作業効率が落ちてきたので、これは糖分が足りないんだろうとチョコレートを一欠片手に取り口に頬張る。舌の上から甘さが広がっていき、血管を伝って全身に糖分が回っていくような気分になると、よしこれで仕事が再開できるぞとパソコンの画面にまた向き合える。でも、このときいらないことが頭を過ぎる。そういえば、「チョコレートはロッテ」でお馴染みの菓子メーカー・ロッテの社名の由来は、ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』のヒロイン、シャルロッテだったなんて。何を見ても何かを思い出す。それは僕が歳をとったからなんだろう。

戦後フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールに言わせれば、老いを受け入れるのが難しいのは、普段から老いを想定していないかららしい。確かに日々実感できるほど、老いはわかりやすくやってこない。ある日鏡を見たときにシミが増えていたり、傷の治りが遅い上に跡になったり、足腰が痛んだり、体重が落ちにくくなったりする。その時、結果として老いたことを感じる。突然やってきて、現状だけを突きつけてくる。変化の尻尾を捕まえることは、とても難しい。

そして僕らは、いつだって歳をとるのは初めてだ。永遠の17歳は存在しない。必ず毎年、いや毎日歳をとる。全員が初心者であり、またそれぞれが違う時代を生きているから、年長者が持つコンテクストと若年層が持つコンテクストは違う。しかしそれは当たり前なのだから、そういうものだとして、お互い相手のコンテクストを覗き見ながら対話ができることで世代の二項対立は和らぐと信じたい。そう思うのは、もう僕が若年層ではないからなのかもしれない。34歳という年齢は、現代の平均寿命で考えれば、成人の中では若め。しかし肉体的に成長はなく、残り限られた細胞分裂を繰り返しながら生きる。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、1378文字あります。

すでに登録された方はこちら